思い出話をしたいだけかもしれない。
白洲正子は西行について書く中で、院と北面の武士の関係に言及した。
正しいと思ってる時がNGさ。
BL論。そーろーそーろー終わりにできそうな予感。
昨夜ひさしぶりに(←)自作を更新したけど実はいろいろ言った挙句に作品の傾向はそんなに変わらない。
もともと疑いがあったら書けない。
ただ見てきた現象を言葉にしてまとめておきたいと思って書いてます。
言ってることが以前のエントリと違うと思われた時は、その後になって考えなおしたからで、だいたい毎回「あっそうか、やっと分かった」と思った時に書いてます。だから「私的BL論改訂13版」くらいじゃないかと思います。
昨夜ひさしぶりに(←)自作を更新したけど実はいろいろ言った挙句に作品の傾向はそんなに変わらない。
もともと疑いがあったら書けない。
ただ見てきた現象を言葉にしてまとめておきたいと思って書いてます。
言ってることが以前のエントリと違うと思われた時は、その後になって考えなおしたからで、だいたい毎回「あっそうか、やっと分かった」と思った時に書いてます。だから「私的BL論改訂13版」くらいじゃないかと思います。
アメリカ娯楽映画の「うまいな」と思うとこは、
主人公はあくまで白人男性で、この強力な助っ人として少数民族や黒人、女性を登場させてはカッコいいことを言わせてきたことで、モーガン・フリーマンとかサンドラ・ブロックはそれぞれの代表だったと思う。
トムとジェリーや『風と共に去りぬ』(1939年)のお手伝いさんとして黒人が登場していた時代からすれば、『1408号室』(2008年)のフリーマンみたいに高級ホテルの総支配人なんて考えられなかった。
1978年『ナヴァロンの嵐』では、口数が多く反抗的なハレム育ちというステレオタイプとして登場させ、皮膚の色をからかうシーンを挿入しながらも「対等に扱ってくれ、口のききかたに気をつけてくれ」と断言させた。
1989年『グローリー』が初の黒人部隊を正面から描いた。主人公はその白人指揮官。
1991年『ロビン・フッド』では、白人の知らない知恵をもち、独特の倫理観をもつ者として描き(同時にイスラム教徒でもあるわけだけど)「違う人間だが一緒に戦おう」と言い切った。
1939年から91年と考えれば、52年の間に、こうしてちょっと娯楽作品を観た中でも、アメリカは自分を変えてきたわけだ。
トムとジェリーや『風と共に去りぬ』(1939年)のお手伝いさんとして黒人が登場していた時代からすれば、『1408号室』(2008年)のフリーマンみたいに高級ホテルの総支配人なんて考えられなかった。
1978年『ナヴァロンの嵐』では、口数が多く反抗的なハレム育ちというステレオタイプとして登場させ、皮膚の色をからかうシーンを挿入しながらも「対等に扱ってくれ、口のききかたに気をつけてくれ」と断言させた。
1989年『グローリー』が初の黒人部隊を正面から描いた。主人公はその白人指揮官。
1991年『ロビン・フッド』では、白人の知らない知恵をもち、独特の倫理観をもつ者として描き(同時にイスラム教徒でもあるわけだけど)「違う人間だが一緒に戦おう」と言い切った。
1939年から91年と考えれば、52年の間に、こうしてちょっと娯楽作品を観た中でも、アメリカは自分を変えてきたわけだ。




