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2016/11/17

月下の手向(4)

 アキラは静かに溜息をついた。石上さんよ、とふたたび腹の中で語りかけた。

 あんたの弟は不器用だなァ。

 うん、とアキラの世界のどこかで石上聖一がはにかんだように微笑んだ。ぼくはそこが好きだったんだ。俺もきらいじゃねェよ、とアキラは答えた。それから「先生よ」と口に出して呼びかけた。隆輔が顔を上げた。急に憔悴したようだった。
「だったらさ」
 アキラは静かに彼へ言った。
「どうしてもう俺に愛想が尽きたって言わねェんだい?」
 隆輔が目を見張った。アキラは秀孝の実家でもある能舞台のある方角へ顎をしゃくり、石上の形見を目線で示した。
「今日あっちの先生が立派なお舞台を見せてくれたから、自分も心を入れかえて剣の道にはげむことにしたから、お前なんか修行の邪魔だからもう来るなって言やァいいじゃねェか」
 隆輔が口を「へ」の字に歪めた。
「それとも、お前なんかただの家政夫だって言ってくれてもいいんだぜ。そしたら俺が腹を立てて、こっちから願い下げだって言って、すぐに出て行くかもしれねェぜ?」
 隆輔の膝に置いた拳が震えた。彼は搾り出すようにしゃがれ声でつぶやいた。
「……嘘は、つけない」
 アキラの胸にじんわりと温かいものが広がった。自分でも思いがけないほど口調が穏やかになった。
「そうかい。あんたらしいや。でもさ。本当のことを全部ぶっちゃければ、俺が納得するとは限らねェわけだろ」
「でも、俺は、試合で全力を尽くさないのは相手に失礼だと教わったんだ」

 いや試合じゃねェしと思ったのは、アキラは口に出さなかった。嘘も方便で駆け引きするのも全力を尽くす内だろと思ったのも口に出さなかった。
 おととしの暮れには下手な駆け引きをして俺をごまかそうとしたくせにと古い恨みを蒸し返すのもやめた。
 学校の生徒相手だったらもう少し器用に話をする方法も知っているだろうに、あんたは心のどっかで俺を石上さんと間違えてやがるんだと思ったのも口に出さなかった。
 そんなことで石上さんが喜ぶのかいと訊くのもやめた。誰かみたいに彼の遺言をだしに使って自分を売り込むようなことはしたくなかった。だから自分の気持ちだけ言うことにした。

「だったら俺も本当のことを言うよ」 
 アキラの声は静かだったが、隆輔の喉仏はゴクリと動いた。
「俺が、あんたと自分とこの世に二人だけのような気がして、最高に幸せだったのは、最初に会った日の夜と、初めてあんたの部屋に上がらせてもらった時の、その2回だけさ」
「……ッ」
 隆輔の全身に震えが走った。アキラは頷いた。
「あんたは昔の話をしてくれねェ奴なんだなって、すぐに気がついたんだ。子どもの頃の話とか、学生ん時の話とか。でも、いろいろあったに決まってるから、俺も黙ってることにした。いろいろあったんなら、尚さら今が楽しいほうがいいもんな」
 隆輔が鋭く息を吸った。
「でも俺ァ、そのうちに、あんたの仕事の邪魔になってるんじゃねェかって、そっちのほうが気になるようになった。だから、だんだん連絡を入れるのが遠くなった。あんたからもあんまり言って来なかった。それでも時々、がまんできなくなったんだよ。だから」
 アキラは思い出しながら、しんみりした気分になった。だんだん項垂れた。
「だから、天気がいいからとか、季節が変わって花が咲いたからとか、言い訳を考えて、みやげになるような旨そうなものを売ってるとこを探したりして、そうやってバイク転がして来るたびに、ビクビクもんだったよ。今度こそ終わりにしてくれって言われるんじゃねェかなって」
 隆輔が小さく首を横に振ったようだった。
「そんでさ。あんたが3年生の担任になってさ。部活のほうも連勝中とかでさ。土日も補講とか試合とかで全然休みねェし。俺ァもう本当にやめようと思ったんだ。でも、1年くらい過ぎてみたら、あんたのことを考えない日はなかったなって思ったんだ。だから、せめて暮れの休みの間だけでも一緒にいさせてもらいてェなと思って、そんで電話したんだ」
 アキラは顔を上げた。隆輔の眼が潤んでいた。
「あんたァあん時ァまだあいつに手が届かねェと思っていた。だから俺で手を打ったってことだよな」
 隆輔が眼を潤ませたまま顔色を変えた。
「そういう言い方をするな。俺は本当に」
「本当に、俺を待っててくれたのに、今ならあいつに手が届くから、俺を捨てるって話だろ?」
 アキラはいくらか意地悪を言った。正念場だった。口調は静かだったが、隆輔は怒鳴りつけられたかのように身を震わせた。
「ちが……ッ」
「じゃなんだい」
「俺は、一人になって」
「修行のやり直しかい。自分の面倒も見られねェくせに」
 隆輔は一瞬言葉に詰まると、プイッと横を向いた。
「俺だって、やればできるんだ」
 すねたらしかった。
「自分の気持ちの面倒ってことだよ」
 アキラが言ってやると、振り向いた。なにか言い返しかけて、ふと脱力した。
「どうしたい」
「彼には、こんなふうに喧嘩できる相手もいないんだ」
 アキラは切り札を切ることにした。
「そりゃ分かんねェよ」
「なに?」
「考えろよ。あんたと俺だって、盆暮れと、あとは何ヶ月かにいっぺんしか会ってねェじゃねェか。あいつだって、そのくらいの相手なら、もう見つけてあるかもしれねェぜ? 奴はそれをあんたにいちいち報告する義理があるのかい? 日誌でもつけさせてるのかい、監督さんよ」
「いや……」
 隆輔は完全に虚を突かれたという顔をした。
「でも、彼は一人で身を慎んでいるはずなんだ」
「あんたと約束したのかい」
「いや……」
 隆輔の眼に逡巡が影をさした。
「約束は、していない」
「じゃあ分かんないよな」
 隆輔は項垂れ気味になって眉をひそめた。そして思いついたように顔を上げた。
「いや、そうじゃない。そうじゃないぞ」
「なにが」
「彼が新しい相手を見つければいいって話じゃない。俺は自分を許せないから」
「俺を捨てる自分は許せるのかよ」
「う……ッ」
 隆輔は形のいい眉毛を「八」の字にして、その下から途方に暮れたような眼でアキラを見た。
「どうして、愛想を尽かしてくれないんだ」
「あんたと同じさ」
 彼はひどく困ったようだった。あまり見たことのない顔だな、とアキラは思った。彼はゆっくりと項垂れた。石上の形見を見た。
「俺は」
 とつぶやいた。
「こうして貴様と会っているのに、彼のことばかり考えている」
 うんうんとアキラは頷いた。
「彼には師匠らしさを求めておきながら、自分だけ貴様の手料理を食って、今日も貴様と一緒に寝床へ入ろうとしている」
 うんうんうんとアキラは頷いた。
「俺は」
 隆輔が顔を上げた
「貴様を彼に盗られたくなかったんだ」
「うん?」
「彼を海から拾ってきた夜が明けたとき、俺は貴様が彼になにをしたのかに気づいた。自分の身内が悪いことをしたと思って、自分を責めた。でも同じくらい彼に嫉妬した」
 アキラはいくらか決まりが悪くなって鬚の上から頬を掻いた。
「俺はあの時、秀孝は俺のものなのに貴様がけがしたと思ったんじゃない。貴様のその鬚面を思い出しながら、あいつは俺のものだと思ったんだ」
「そ、そうかい」
「だから彼自身のために彼をほうっておけないという気持ちと、すぐに貴様に会いに行きたい気持ちの板ばさみになった」
「そうかい」
「だから彼に、師匠らしくしろと口でハッキリ言ってやったわけじゃないが、そういう形をつけておいてから、実際に貴様んとこへ行った。わざと声も出したし、体も使った」
「ああ……そうだったね」
 隆輔の目元が紅潮した。そのくせ彼はアキラから眼を逸らした。
「そして俺は今日、自分の判断が間違いではなかったことを確認した。なにもかもうまく行ったんだ。彼は正道に立ち返り、俺は望みのものを手に入れた。なのに」
「なんか悪いことしたような気がするわけだね」
「うん」
 隆輔が子どものように頷いた。



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