宇藤花菱会

Japanese M/M Romance for 18 and over.

□ その後の日々 □

月下の手向(5)

 隆輔は深く項垂れていた。もう言えることがなかった。聖一と二人だけの暮らしに戻るといったが、その資格もないように思えた。
 ふと気配を感じて顔を上げると、アキラが手を伸ばしていた。彼はいつの間にか膝を進めて、隆輔との間を詰めていた。隆輔は反射的にその手を、よけなかった。

 アキラの大きな手は、子どもをあやすように隆輔の頭頂部を撫でた。
「勝ったほうが後味が悪いってこたァ、あるよ」
 彼の口調は穏やかだった。
「俺もそうだった。すぐにやり過ぎたと思った。でも、あいつ自身があんたに知られたくないだろうと思ったから、あんたには言わずにいた。でも俺ァ、結局自分からあんたにみっともないところを見せちまった。そんで、あんたに許してもらった」
「……うむ」
「だから、俺があんたに愛想を尽かすことはないよ。あんたが何度でもあいつのことを思い出しちまうってなら、あんたもそれだけ悪いことをしたと思ってるってことだし、それはあんたがまた同じ失敗をしないように気をつけてるってことだろ」
「……そうだろうか」
「うん。反省するってそういうことだろ」
「反省」
「うん。あんたは反省してるんだ。あいつに可哀想なことをした。俺にも悪いことをした。石上さんにも顔向けできねェことをした。去年からずーーっと、何回も同じことを考えてきたんだろ」
「うむ……」
「修行っていうなら、それだって修行のうちさ。あんたはそうしたきゃ、ずーーっとそうしてたっていいんだ。俺は、確か、あんたにもうあいつのことは考えないでくれって言ったこたァねェと思うぜ。あいつをあんまり甘やかすなとは言ったけどね」
 隆輔は記憶のページを指先で弾くように捲った。
「……うむ。ないな」
「うん。たぶんな」
「そうすると、どうなるんだ」
 アキラの手が隆輔の頬へ移動した。
「あんたァ気が済むまで反省してりゃいいさ。あいつと同じ気持ちになったつもりで、昔の人のことだけ考えて、修行に励めばいいさ」
「いいのか」
 隆輔の胸は痛んだ。自分から言い出したことが、ついに受け入れられたようでありながら。しかし、続きがあった。
「その代わり」
「む?」
「俺にお願いさせてくれよ」
「お願い?」
「うん。俺をあんたのそばにおいてほしいんだ」
 隆輔は呆気に取られた。
「……なんだと?」
「あらためてお願いするよ。俺にあんたの世話をさせてくれ。毎日は来れねェけど、飯のしたくをさせてくれ。夜の相手もさせてくれ。あいつにゃあ悪いかもしれねェが、俺も主人を二人持つ気はねェんだ」
 隆輔は返す言葉を見つけられなかった。
「なんなら、あんたの命令で、あっちに貸し出してもらってもいいけどな。でも、あっちのほうで受け取ってくれねェと思うぜ」
「そんな」
 隆輔は首を横に振った。
「そんなことを、言ってるんじゃ、ないんだ」
「じゃあ、なんだい? やっぱりあっちと縒りを戻したいのかい?」
「そうじゃないッ」
 隆輔はアキラの手を頬から振り払うように首を横に振った。すると彼の手が隆輔の顎を捉えた。彼は低く言った。
「俺はお願いしてるんだよ」
「うッ」
「あいつが九年も十年も前に死んだ人に義理を立ててるのが可哀想だってなら、俺だってこの六年間あんたのことを考えなかった日はないんだよ」
「……」
「あんたがあいつに遠慮する気持ちに俺が遠慮して身を引くのが本当かもしれねェ。あんたの気持ちを分かってやるのが本当にカッコいい奴なのかもしれねェ。でも、俺ァそこを無理にお願いしてるんだ。俺の我がままを聞いてくれ」
「貴様」
 隆輔は顔色を変えた。
「自分が責任をかぶろうとするな」
「かぶってねェよ。あんたがうんと言ってくれりゃ俺たちは共犯だ」
 隆輔はふたたび絶句した。
「俺に……」
 アキラに顎を捉えられたまま、彼の黒い眼を見返しながら、喘ぐようにこぼした。
「覚悟が足りないってことか」
「俺と一緒に泥をかぶるのはいやかい」
「泥をかぶって、旨いものを食うなんてことがあっていいのか」
「旨いものを食うってそういうことだろ。自分が食っちまえば、最低でもそのぶんは人にはやれねェんだ」
 隆輔は脱力を感じた。
「そうまでして、食ったものは、旨いと思うか」
「そりゃ分からねェ。食ってみねェと」
 まだアキラの手に顎を押さえられたまま、隆輔の眉に「無責任な」という思いが出た。「そうさ」とアキラが見透かしたように言った。
「自分は卑怯だって気持ちと一緒に飲み込むものは、苦いかもしれねェ。味がしねェかもしれねェ。それでも栄養にァなるだろうよ。でも来年になったら見るのもいやになるかもしれねェな。いまのあんたの気持ちはどうだい。俺と一緒に食ってくれるかい」
「まるで脅しだ」
「脅してるんだよ。俺だって崖っぷちだぜ」
「崖」
「うん」
 隆輔の視界で、アキラの怒りをはらんだような顔と、自分の足が彼を崖っぷちから蹴落とす幻影が重なった。隆輔は身震いした。
「分かった」
 短く答えた。
「そんなことはできない」
 脳裏のどこかで、秀孝が横目使いをしながら冷笑したようだった。
 眼前のアキラは、目に見えて安堵したようだった。厚い肩が脱力した。あからさまに太息を吐いた。濃い眉が「八」の字を描き、その下の目がせわしなく瞬いた。
「貴様も分かりやすい男だな」
「あんたほどじゃねェよ」
 彼はクスンと鼻を鳴らし、拳で鼻下をこすると、前のめりになって、顔をしかめた。
「しびれた」
「無理に立つな。捻挫する」
「知ってるよ」
 ふたたび肩を怒らせて痺れに耐えながら負け惜しみをいう元柔道部員を下目使いに見おろしながら、隆輔は聖一の形見を手に立ち上がった。
「しまってくる」
「おう」

 獣のように唸り声を挙げる髭男を背後に残して、隆輔は寝室に入った。クローゼットの扉を開け、その前に座り込むと、刀剣保管庫の金属扉を開け、白木の内扉を開けた。聖一の形見の柄を叩いて目釘を外し、朴の木の白鞘に刀身を収め、拵えを磨いた。

 聖さん。

 胸中で語りかけた。アキラに一本取られちゃったよ。ぼくの見たとこ3本くらいだね、と聖一が微笑して答えた。彼は隆輔の胸中にいるようでもあり、生者のように傍らに座っているようでもあった。
 あいつと俺を会わせてくれたのは、あんたかい?
 どうかな。
 そうだね。だったら秀孝と俺を会わせたのもあんたってことになってしまう。
 そうかもしれないね。でも、ぼくにはそれほどの力はないよ。
 うん。そうなんだ。
 隆輔は石上の家紋を象った鍔を磨き続けた。
 本当はあんたの知らないところで俺自身が新しい人々に出会って、自分がいちばん正しいと思う道を自分で選ぶことだったんだ。俺はあんたを言い訳にしてしまった。
 そうだね。
 ごめんね。
 いいんだよ。
 隆輔は目をしばたたいた。
 アキラはあんたの刀を見て、礼を言ってくれたよ。
 うん。ぼくも嬉しかった。
 いい奴だよね。
 ああ。いい人だ。
 隆輔は手を止めて石上の家紋に見入った。誰かの紋服の胸にある下がり藤の家紋が重なった。
 俺は秀孝が自分を頼ってくれたことが嬉しかったんだ。
 そうだね。
 そのことに自分が頼ってしまった。
 そうだね。
 アキラを斬り捨てて、俺の心の中にだけある板ばさみのつらさから逃げようとした。
 そうだね。
 もし、彼がああ言ってくれなくて、秀孝が本当に新しい相手を見つけていたら、俺はみじめだったろうね。
 そうだろうね。
 秀孝はやっぱり魅力的なんだ。出会い方が違えばよかったというのは嘘じゃない。
 そうだね。
 隆輔は顔を挙げた。そこに聖一がいるかのように空間を見つめた。
 彼が訊いたことがあるんだ。
 なんだい?
 あんたは本当は俺に忘れてほしくなかったんじゃないのかって。
 幻影は答えなかった。困ったような顔をしていた。
 どうなの?
 幻影は項垂れた。羞恥が頬に浮かんだ。
 ……うん。本当は、ずっと覚えていてほしかった。
 俺があんたを忘れるはずないって分かってて、わざと言ったんだね?
 うん。カッコつけたかったんだ。
 そうか。やっぱり。
 隆輔は晴れやかに笑った。幻影がはにかんだように微笑した。じゃあ俺は、と隆輔は胸中で続けた。
 あんたを忘れようとしなくていいんだ。
 うん。本当はそうなんだ。ごめんね。つらい思いさせたね。
 いいよ。
 隆輔は深呼吸した。手にしていた刀剣の細部を保管庫の小抽斗に丁寧に並べた。内扉を閉めた。金属扉を閉めた。立ち上がると、クローゼットの扉を閉めた。そこが聖一の胸でもあるかのように額を寄せて目を閉じた。
 あんたとこんなに長い時間話せたのは初めてだ。
 そうだね。
 アキラのお陰だ。
 そうだね。
 彼のところへ行くよ。
 ああ。そうしなさい。

  隆輔はクローゼットの前から離れ、リビングへ通じる扉を開けた。

 アキラが隆輔に背中を向けて、食卓についていた。とうに料理を並べ終わって、先に食い始めていたわけでもなく、キッチンの出入り口から近いほうの椅子に座って、頬杖をついて、身動きせずにいた。
 上座にあたる席を隆輔のために空けて、隆輔が聖一と二人だけで過ごす時間に遠慮して、黙って待っていてくれた。
 隆輔の胸に、熱い情緒が広がった。アキラの名前は朝日を意味する。
 暗い背景に浮かぶ月のように女面の大写しにされたポスターを場違いだと見た日から始まった隆輔の迷い道は、見失いかけた自分自身の居場所をふたたび見出す日に通じていたようだ。
「アキラ」
 隆輔は声をかけた。アキラが弾かれたように振り返った。
「おう、先生」
 彼の髭面が明るい笑いに崩れた。彼の名前は朝日を意味する。
「待たせたな」
 隆輔はアキラに向かって踏み出した。

 

-月下の手向 了-



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Date:2016/11/18
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Thema:自作BL小説
Janre:小説・文学

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