2017/10/01

俺たちの秋(10)

 紅の梢は晴天に映えて、空気は冷たく冴えていた。

 三上と黒田はツーリングで痺れかけた足を並んで湯につけた。
「あ~~……」
 どちらからともなく声を挙げた。そして一緒に苦笑した。
 長距離運転者用の休憩場だ。周囲の山並みを借景に取り込んで、温泉を引き込んだ足湯がある。
「きもちいいなぁ」
「きもちいいですねぇ」
 三上の愛車のパーツ交換は無事に済んだ。その馴らしと称して遠出した。黒田を無理に誘ったのではなく、先日の彼の父親の誕生日に顔を合わせた時に約束したことだ。
 朝は落ち合うと同時に挨拶もそこそこに走り出したから、会話は今日これが初めてだ。
 お互いに近況報告を済ませると、黒田が意外なことを言い出した。
「うちの親父たちがすっかり長浜の町を気に入っちまってさ。また引っ越そうかな、なんて言ってんだ」
「へぇ」
「どこまで本気か分かんねぇけど、じゃあ俺もって言ったら、うちの先生がさ。だめだってんだよ。すげぇ真面目な顔してさ。いまの仕事をさ。必要とされるかぎり、自分から辞めちゃいかんとか言って。先生らしすぎていけねぇよ」
 黒田は口を「へ」の字に結んで短髪の頭を撫でた。
 三上は胸を衝かれた思いがした。
 すると黒田が横目使いに三上の眼を見て、照れたように笑った。
「けど、ほんと言うとさ。ちょっと嬉しかったんだよね。ってのはさ。あの山小屋。あんたにも来てもらった。あれ建てる時は俺が働いたんだ。けど名義は親父なんだよ。俺は留守番っていうだけさ」
「そうですか……」
「そんで、なんか俺ぁ自分が情けねぇような気がしててさ」
 三上は首を横に振ったが、答えられずに黒田を見つめ続けた。黒田は指先で鼻の横を掻いた。
「俺ぁあの親父が商社マンで、出張や単身赴任が多かったから、ろくに顔も見ねぇで育ったんだ。その代わり、近所の工場のオヤジさんに可愛がってもらった。だから高校出たら就職っつうより弟子入りってか、手伝わせてもらうってか、当たり前な感じだったんだ。そこを自分から辞めちゃいかんって言われるのは、やっぱ嬉しくてさ」
 ふと、三上は膝に置いていた拳を開いて自分の掌を見た。
 自分はすべてを実の父親から教わった。
 大鼓の革は数時間も火鉢で炙って湿気を飛ばし、硬くしたものを使う。それを調緒で引き締めたところを素手で打つ。その衝撃は軽くはない。
 黒田も三上の手に目を留めた。それから本人の膝の上で手を広げた。
 二人の掌は、本業の違いを越えて、よく似ているようだった。
「俺ぁ」
 黒田が声の調子を落として言った。
「あの先生と自分じゃあ、釣り合いが悪ぃなと思ってさ。何回か付き合うのやめようと思ったんだ。でも、あんたに会えてよかったよ」
 三上は目を上げて、黒田の顔を見た。
 この髭男は、ようするにのろけているのだが、その誇りと劣等感のせめぎ合う微妙な境地を打ち明ける相手のあることを真顔で喜んでいた。
 三上は彼の信頼に応えた。大きく頷いた。
「ぼくもです。子どもの頃から宇藤のお舞台に出させてもらっていますが、オートバイに乗ってきた人は初めて見た」
「へっ」
 黒田が肩を揺すって失笑した。
「えへ」
 三上も照れ笑いした。それから、三上はホッと息をついた。
「必要とされる限りですか」
「うん。あんたも忙しいんだろ」
「そうです。この仕事は人手が足りない」
 まさに人手だ。三上は左右の掌を胸の前で擦り合わせた。
「でも、今日来てよかった。じつは悩み事があったんです」
「そっかい。どうしたんだい」
 黒田が心配そうな顔をした。
「その……」
 三上は湯煙を見た。
「仕事の仲間が、うまく行かないことがあったみたいで」
 これでは黒田に失礼だと思った。自分から言い出しておいて。
 で、言い直した。
「ほんと言うと、古い友達なんですけど、その、失恋したみたいなんです。ぼくにだけ打ち明けてくれたんですけど、ぼくは、それを、その、ちょっといい気味だと、思っちゃったんです。それで、自分の本性が分かっちゃうのって、つらいです」
「……そっか。それは、へこむよな」
 黒田も思い当たる節があるかのように目線を落とした。三上は重く頷いた。
「それで、こんなぼくを、ご先祖さまは許してくださるだろうかって」
 黒田はしばらく黙っていた。三上は彼の表情を盗み見た。鬚面の横顔は眉をひそめて、項垂れ気味に立ち上る湯気を見るともなく見ていた。ふと、三上の視線に気づいたように顔を上げた。
「……あんたのご先祖さまって、大勢いるんだろうね」
「家系図は鎌倉時代から伝わってます」
「ほっ」
 黒田が目と口を丸く開けた。
「でも、黒田さんだって、ずっとつながってるんですよ」
「まぁ、そりゃそうだけど。でも、うちぁどうせあれだし。庶民だし」
「うちだって、もともと武士ではないです。貴族でもない。ただ」
 やっぱり三上は自分の掌を見てしまった。手鏡のように。
「芸の上だけで、必要とされて、つないで来たんです」
 三上の掌を、黒田は横合いから見つめた。
「大丈夫だよ。ご先祖さまだっていろいろあったさ」
 黒田の声は深かった。
「あんたがその、悩んでたってことを俺に言ってくれたってのが嬉しいよ」
「ぼくも、聞いてもらえてよかったです」
 二人の毛脛は、並んで同じ湯に浸かっていた。二人は子どものように足を揺すって湯を掻き混ぜた。
「へへ」
「えへへ」
 革ジャケットを着た肩同士を寄せて、二人はくすぐったそうに笑った。


ご清覧ありがとうございました。

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